きょうもねむいブログ

わたしの話を聞いてみてくれませんか

明日からはきっと「人間関係フィルタリング」とたたかう一ヶ月になる、たぶん。

最近、大学の新歓に行った。(ちなみにサークルとかが開いてる新歓じゃなくて、大学が早く学校になじめるようにって開いてくれるタイプのやつ。)

わたし、人見知りでその上コミュ障だから、その新歓に参加するのめちゃくちゃ不安だったの。周りの話題についていけずあうあうしてる自分の姿が容易に想像できた。でもだからこそこれからの人間関係のために早めに動いておかなきゃ、って思って勇気振り絞って参加した。

 

結果、頑張った甲斐あって思っていたよりかは人と喋れた。LINEもそこそこ交換できた。ちょうびっくり。(行く前まで喋れるの一人くらいだとおもってた)

なんでかなーって考えたら、みんな「誰でもいいから友達ほしいオーラ」「誰かと仲良くなりたいオーラ」みたいなのを放ってたから、かな。だから割とすんなり話しかけることができた。

 

どうやらみんな、友達できるか不安だったらしい。

ある程度はそうだろうなっていうのは予想ついたよ、そりゃ。誰だって不安になると思うよ。なかには一人暮らし始めたり、まったく知らないエリアに通学することになった人もいるだろうし。

でもなんていうか、普通の人(普通っていうとアレだけど、つまりはコミュニケーション健常者)はもうちょっと「人を選ぶ」んだと思ってた。そこまで友達に飢えていないと思ってた。参加してる人たちの抱えてる不安の度合いが想像以上だった。

 

二人組とかでサークル紹介のブースとかまわってるほかの参加者を見ると、たまに「この子達高校でおんなじクラスだったら絶対違うグループでしょ」みたいなのがいたし。

みんなファッションの系統とか全体的な雰囲気とか第一印象とかで人間関係フィルタリングしてないんだなー、って感じ。嫌な話だけど、ある程度固まってる人間関係の中だとあるよね、こういうフィルタリング。言っておいてあれだけど自分でも使ってるし。

たしかに、まだこのタイミングでフィルタリングをする余裕はなかった。手当たり次第にって感じだった。一緒にいた子もそんな感じだった。気が合うとか合わないとかそういうのはどっかに置いて、とにかく「所属する何か」を見つけようとしている感じだった。

 

この状態がいつまで続くのかはわからないけど、とにかく続いてる間なら知り合い増やすのには(友達じゃなくて知り合い)あまり苦労しなさそう。

そっからみんなだんだん知り合いをフィルタリングして人間関係を固めていく...そのタイミングが苦手。コミュ障はフィルターに弾かれてしまう。

 

どうせ最終的にフィルタリングされるなら、無駄に頑張る必要はないのかもしれない。まあ、そう意識しても無意識に自分を守るために頑張っちゃうけど。

喋るの苦手なくせにやたら喋ろうとしたり、人付き合い苦手なくせにまるで人付き合い得意なように振舞ったり、無い個性を主張したり。

頑張って誰かのフィルタリングに引っかかるためにキャラじゃないことやると、なぜかバレるんだよね。わたしも「あーこの子頑張ってるなー」ってわかる時あるし。

 

今気づいたけど、別に私は誰かが決めて「フィルタリングされる側」になった訳ではないんだよな。勝手に自分で決めただけで「フィルタリングする側」にもなれるはずなのに。自分に自信がないとこういう思考回路になりがちだよね。わたしにだって自分の意志はあるわけで。

 

とにかく四月からの人間関係、「数だけ撃って自分に素直でいる」を心がけようと思います。おわし。